1.それまでの精神医療

日本の精神医療が飛躍的に膨張したのは昭和30年代に入ってからです。
抗精神病薬の発展もその一因ではありましたが、大きな理由は、国民皆保険制度の確立と戦後の経済高度成長とがあげられます。安全で生産性の高い社会(家庭)を作るために、 精神障害者と老人は、皆保険制度に後押しされ、次々に新設される病院に収容されていったのです。さらに、戦後復興を世界に示そうと開かれた東京オリンピックと東海道新幹線が開通した、昭和39年にアメリカ駐日大使のライシャワーさんが、統合失調症の男性から傷害を受ける事件が発生しました。これにより、精神衛生法が改定され措置入院の拡大により、精神疾患患者の病院収容が徹底されていきました。(この事件は、ライシャワーさんが輸血を受けて、肝炎になってしまい、日本の『売血・黄色い血』問題を提起したことでも知られます。)これにより、精神病床は飛躍的に膨張して行きました。この頃の精神病院は、建替えで不用になった小学校の木造校舎をもらいうけ、病棟として使用する事もありました。看護人と呼ばれる職員と少数の看護師、院長と非常勤医師。オーバーベッドは当たり前で、150%に達するような情況も見られました。このように、住環境としても人的環境としても、治療とはほど遠い劣悪な環境でした。しかし、何年入院していても入院費は変わらず、薬剤や検査の利幅も大きかったものですから、この頃の精神病院は巨万の富を産んでいったのです。一度満床になってしまえば入院してきた数だけ退院させれば経営は簡単です。次第に手のかかる依存症やパーソナリティーディソーダー・知的障害等の患者は敬遠され、統合失調症の長期入院を中心に収容主義的精神医療モデルは、その病床数を36万床に膨張させ、完成しました。
収容主義を支えた理念は、『適応力の低い精神障害者を過酷な社会に戻すより多少不自由でも保護された精神病院で天命を全うさせる事を良しとする』でした。 これが昭和50年代に入ると膨張した医療費を抑制する方針が示され、長期入院が否定される事になりました。薬剤や検査の利幅縮小、出来高制から定額制への誘導、オーバーベッドの禁止、人員基準の厳守、等も徐々に進み、『それまでの精神医療』はついに経営的低迷期(医療的には最初から)に突入していったのです。


2.開院時・・・どんな医療を

医療費抑制策が決定的になり同時に医療法改正により地域医療計画(人口により病院のベッド数を規制するもの)が出された後に当院は開設いたしました。 当然『それまでの精神医療』を踏襲するわけにはいきません。

良い医療モデル・・
できるだけ短期間で症状をやわらげ、生活の場所に帰していく。

良い経営モデル・・
たくさんの人が入院し、退院していくことによって安定した経営状態を維持する。

良い人事モデル・・
患者さんを治すことでやりがいを得るとともに、豊かな個人の生活を両立できる労務環境を造る。

この三つの側面を持つ『良い病院』を作りたいと思いました。

 昭和63年の12月、久喜すずのき病院は149床の精神科単科病院として開院しました。当初より一般的な精神疾患と高齢者の精神症状を対象にし、双方ともできるだけ短期に治療し、家庭(施設を含む生活の場)に帰して行くを目標にしました。その時に作ったパンフレットに『「心と身体」・「疾病と日常」を分離することなく、人間をトータルにとらえた治療とリハビリテーションを、第一の目標として行きたい』という目的(理念)を掲げました。そうはいったものの、当時の看護体制で精神症状の激しい認知症疾患の高齢者を、治療・介護して行く事は大変な事でした。一般の精神疾患病棟と高齢者精神疾患病棟では看護の内容がまるで異なり、一つの病院に二つの病院があるような情況が続きました。それでも、鈴木理事長の『高齢者を社会から隔離せず治療し、歩ける人を歩けるままに精神症状を緩和し家庭介護がし易い状態にして家庭に帰したい。』と言った、開院当初の治療目標は着実に実証されていったのです。お陰様で約半年で満床となり、1月40人位の入院があり、外来も順調に増えていきました。
 平成4年隣接地に新病棟を建設し84床増床、高齢者の病棟を造りました。更にその年の診療報酬改正で基準看護(現在の入院看護基本料看護加算)が優遇されたことから、増床と同時に基準看護取得の目標を掲げました。やっと看護師雇用にも余裕ができ始めたとはいえ、当時はまだまだ看護師不足で、精神科病院で基準看護を取得している病院は県内でも数えるしかなかった頃ですから、気の遠くなるような遠い目標に感じられました。 しかし、必死になれば運も付いてくるようで、『基本その他3』という基準をその年の 11月に取得し、徐々にランクを上げて行きました。平成5年には作業療法を開始。平成6年には精神科デイケアを開始。またこの年に新看護基準が創設され、看護助手が看護基準に組み込まれ、精神科でも老人が看れる人的体制がやっとできました。そんな矢先の平成7年精神療養病棟100床を増床するとともに、重度痴呆疾患デイケアを始めました。それまで、入院を経て家庭に帰った患者さんは、延べ1000人を越えていて、皆さん根気良く通院してくださいました。しかし、診察室では家庭介護の重圧が報告されていました。そこで、日中だけでもその重圧を緩和してもらおうとデイケアを始めたのです。それも、参加希望者の住んでいる場所を『地域』と考え、高速道路を使っての送迎システムを作っていきました。

平成10年まではPSWも臨床心理士も雇用せず、ひたすら病棟とデイケアの基礎を作ってきた、『作る10年』だったと思います。

その後は順調にデイケア参加が増加し、退院後の在宅率が格段に向上しました。
平成11年に浦和すずのきクリニック、平成13年に大宮すずのきクリニック、平成15年に草加すずのきクリニックを開設し、それぞれでデイケアを行うようになり、平成17年には病院隣に久喜メンタルケアクリニックを開設しました。
この間、病院の看護基準も看護師の患者比率3:1.と看護助手患者比率10:1となり、精神保健福祉士・臨床心理士・作業療法士や理学療法士などのマンパワーも充実していきました。このように短期入院とリハビリテーション等のソフトが充実してくると、改めてハード(建物)の不充分さを実感する様になりました。しかし、医療情況は一段と厳しさを増し、平成18年には更なる大改革があると言われるようになりました。当院でもその内容を確かめるまでは動きが取れないと言う認識を持って見守るつもりでしたが、埼玉県内で認知症治療病棟病院の開設が相次ぎました。(地域医療計画で精神病棟が2000床余っていたため) 複雑な情況の下、平成16年9月、120床の増床を決定し、ただちに基礎設計に入りました。平成17年6月に着工。平成18年4月1日F棟がオープンし442床となりました。平成20年には平均在院者数が432人、1ヵ月の新入院者が平均150人と安定した業績を示しています。 この10年間に医師も病院単独で雇用できるようになり、看護師やその他パラメディカルの人数も飛躍的に増大しました。また、クリニックだけでなく福祉ホームや地域生活支援センター・グループホーム、地域包括支援センターや居宅介護支援事業所など、医療事業福祉事業・介護保険事業の3事業にわたる展開をしていきました。
そこで、この10年を『そろえる10年』と呼ぶことにしました。

3.現在はどうなっているか

では、これからの10年はどうなっていくのでしょう、

平成21年5月
 スーパー救急(精神科救急入院料)病棟を開設しました。
スーパー救急と言ってもその運営は特に今までと大きく変わらないと思っています。
ただ、余裕のある、空間と人的環境は実に治療的であることを、改めて学習した思いです。
そこで、この病棟を理想の病棟にする事を目標にした『C1病棟(スーパー救急病棟)理想化委員会』を発足しました。ここにかかわる各職種がそれぞれ理想と思われる事柄を実現していき、理想の病棟を作り上げようというものです。
各職種がBEST(理想的)と思える病棟は果たして患者様にとってもBESTなのかどうか?たいへん楽しみです。

今努力しているのは、1日に500人も参加するデイケアです。
これは毎月170人もの初診患者を診療している外来機能に支えられているといえます。
入院病棟が機能して生活の場所に帰すことによって、外来デイケアが機能するといった具合です。病院の診察室が心臓部として最大限機能するよう常に心がけています。それと、精神科病院は、何かと規制が多くなりがちですが、当院では入院者だけでなく職員に対しても禁止事項を最小限にするようにしています。
これは『ソフト面の鉄格子』がないということで、入院者の心を折らず、職員の発想力を保つ効果をもたらしていると考えています。
入院中、出来るだけ治療による心的外傷を少なくする心がけをしてこそ、デイケアに自ら通ってくるのだろうと思います。
 入院者へのサポート体制として、高額な入院費用になることから、限度額適用認定証の申請をはじめ利用できる制度を紹介しいるだけでなく、家族のPTSDへのケアーや退院前訪問などを通してフォローしていきたいと考えています。このために、OT・PSW・臨床心理士がそれぞれの病棟を担当しています。

ホームページの『専門職によるブログ・・』は、病院の活動・活力をリアルに発信していきたいという目的と、発信作業を通してそれぞれの専門職が自らの専門性に対する説明能力を養って欲しいといった目的があります。
まずは、病院の中で専門家同士が自らの職域や専門性を説明し合い、理解を深め、同じ目的のために『連動』し目的を達成することが治療的環境を造っていくためにもっとも必要な事だと思います。
 作って、そろえたものをどう動かすか!?
これからの10年は『動かす10年』です。


我々の目指すものは

実はいまでも『良い病院』が目標です。

一人ひとりが、『自らの成長』と『親切心』をもって目の前の患者さんに尽くしていこうとする。そういう『人的環境造り』を目標に、優秀な人材に上質な教育の機会を提供していける、『教育力のある病院』を目指したいと思っています。
具体的には、精神科専門看護師の養成を行ないます。更に、皮膚、排泄、糖尿、疼痛などの専門看護師を養成し全身管理が可能な体制を作っていきます。 そして、『良い地域』を造ります。
急性期医療とリハビリテーションを実践していくには、『再びこの人と一緒に暮らしていこう』という家族の心を『再生』させなくてはなりません。
そのためには、医療、介護、ソーシャルワーク、カウンセリング、様々なリハビリテーションが総力を結集するだけではなく、病院外の福祉、ケアマネージャー、保健婦、訪問看護等とも情報を共有することによって、機能する『良い地域(人的環境)』を構築する事が必要です。 『良い病院は良い地域とともにある』を新たな理念として努力していこうと考えています。*『親切心』・・不快を発見し、より短時間に快に変えていく努力を惜しまない心持ち。

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